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Newton(ニュートン) 2016年 08 月号 [雑誌]


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Newton(ニュートン) 2016年 08 月号 [雑誌]の詳細

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ここで、「光から見た世界はどう見えるか?」を物理的に考えてみます。「光から見た世界」を物理的に考えると、まず最初にパラドックス的な疑問を感じます。1億光年離れた星が発した光は、1億年かけて約30万キロメートル毎秒の速度で地球に向かって飛んできているように地上からは見えます。しかし、アインシュタインの相対性理論では、光速では時間は止まっている(かつ質量=0)。「光速で飛行している質量0の(本人)は時間は止まっているのですが、それを地上から見ると、秒速約30万kmの速度で地球に向かって飛んでいるように見える。」「光から見た世界」を物理的に考えると、ほかにもパラドックス的な疑問が多く出てきます。基礎知識がないので正確なことはわかりませんが、現代の物理学では、うまく矛盾なく整合的に説明するのはムリなような気もしました。相対性理論と量子論もまだ整合がとれてない、というかミクロな世界での相対性理論や重力の理論が未だわかっていない。このことが関係しているかどうかはよくわかりませんが、WEBで調べても、「光の世界」を考えるのは、「亜光速の世界」を考えるのより、さらにずっと難しいのかも知れません。「光から見た世界はどう見えるか?」をWEBで調べてみました。ただ、必ずしもはっきりした答えがないようです。1.)光から宇宙を見ることは出来ません。光子で光速は測定できませんから。(測定する方法がない)2.)光速=時間停止なので、その瞬間は死んだと同じことです。3.)そもそも、光子は固有時を持ちえない。と言った答えがありました。(コメント:固有時は物体固有の時間という意味で、光速つまり質量=0の状態は物体には不可能。逆に光速つまり質量=0の状態では固有時もなく時間そのものも無い状態?)固有時(Wikipediaより):固有時(こゆうじ)とは、物理現象・物理法則を支配する時間を言う。特殊相対性理論・一般相対性理論により,ある観測者から見て移動する座標系若しくは重力等で歪んだ時空座標系の下でも,(時空点ごとに固有・不変となる)固有時を用いることにより物理法則は普遍形・不変形を示す。特殊相対性理論に基づく観点の下で固有時の説明を行うと、固有時(こゆうじ)とは、注目する物体に伴って移動する座標系で計測した時間のことである。一般に記号はτを用いる。ニュートン力学まで用いられた全宇宙で一意な絶対時間に代わり、注目すべき物体の固有時が物理法則の記述に用いられるようになった。固有時とは物体固有の時間という意味である。アインシュタインは一般相対性理論に基づく観点から、「私は全宇宙に時計を置いた」と述べている。さらに、4.)光速と同じスピードで動くことはできない(できたとしても時間が止まって何も見ることができない。)光速では質量=0。逆に質量がある物体は光速に近づくと、質量が無限大に近づく。5.)計算上、光速になると距離が0になってしまう。6.)宇宙船の速度が光速にまで到達することができるのであれば、それは時間も距離も超越して、はるか未来へも一瞬で行くことが可能になります。7.)限りなく光速度に近づくにつれ、時間の遅れや質量が無限大になるため、加速しても光速度と同じにはならないようです。時間の遅れは、宇宙線のミュー中間子の到達距離や原子時計の実験(ジェット機に載せたものと地上に置いていたものの比較)等で確認され、事実です。8.)光速度に近づくと、時間だけでなく長さも変化する。この場合(光速の場合)は、回り全てが自分に対して(真空中の)光速度で動いているので、宇宙全体が長さ(厚み)=0になるので、前方とか後方とかは全く意味がなくなります。9.)仮に光と同じ速さで進むことができたら、時間は止まります。と言うより、光が動いていない世界です。でも静止画ではなく暗闇です。光も止まってしまいますから、光が届かない暗闇の世界です。〈光速度不変の原理によれば、光子はあらゆるものに対して光速で動きます。となれば、速度の相対性から、光子自身にとっては自分以外のすべてのものが光速で飛び去っていくことになりそうです。しかしながら、質量のある物体は光速では飛ばないはず。ここに矛盾が生じる理由がまずよくわかりません。 仮にすべてのものが光速で運動するように見えるという仮定を受け入れた場合には、光から見て ・ローレンツ収縮により、すべてのものは完全にぺちゃんこになる ・ウラシマ効果により、すべてのものの時計は止まって見える つまり時間発展しないぺちゃんこの物体が無数に光速で飛び去っていくということになるのでしょうか。そもそも、光子は固有時を持ちえないのではないか、という気もしていますが、数学的にそれを説明できませんでした。〉〈補足:それで結局、光子が宇宙を見たときにはどんな景色が見られるんです?〉 〈 光から宇宙を見たらどうなりますか? 光から宇宙を見ることは出来ません。光子で光速は測定できませんから。(測定する方法がない)〉 〈いろいろ考えてみましたが、光子は固有時を持たないとするのが一番自然そうです。そうすると光が宇宙を観測することは当然できませんが、自分の存在にすら気づく時間がないというのは不思議です。質量の獲得は時間の獲得だったのでしょうか。「見る」ためには光子を出して対象にぶつけてその反射した光子を見る、あるいは反射してきた光子を見る必要があります。しかしながら光子自体に光子を観測する道具、器官がありませんので見えません。光子同士がぶつかっても干渉したりするだけです。〉(コメント:ただし、見ることは不可能でも、認識自体が不可能とは言いきれないのかも知れない?人には見ることは不可能でも、他の存在には認識自体は不可能とは言いきれない?我々の物理学はまだまだ未完成というか初歩的段階?)〈=もし、光と同じスピードの乗り物に人間が乗ったらどうなりますか? =アインシュタインの話で光と同じスピードの乗り物に人間がいたら年を取らないと聞いた事があります。そんなスピードの乗り物に人間が入ったとしたら果たして生きていけるのでしょうか? 〉(コメント:質量=0の人間というあり得なさそうな想定の場合ですが。)〈光速=時間停止なので その瞬間は死んだと同じことです仮に生きていても光の速度の間は時間の止まった世界となってしまうので死んでいるのと全く同じことだと思います またこの今住んでいる地球そのものを光速だと感じられるポジションはどこかにあると思います その世界から見ればこの世界は永久に停止しているのかもしれません逆にこの地球からその世界が見れるとすれば もう感じ取れないほどの速度で その世界の時間は流れて行くということになるのではないかと思います もし、となっているのでご存知だとは思いますが一応物理学では質量のあるものは光速になれないらしいですが限りなく光の速度に近づくという見方でなら どこまでも考えることは可能なようです〉〈光速の物体が(あり得ませんが)あったとして、その物体から観ると、景色の方が光速で後ろに飛び去っていきます。 電車に乗って、窓の景色が動いて見えるのと同じ事です。そうすると、その物体から観たら、光速なのは景色の方、ということになります。つまり、時間が止まっているのは、周りの方なのに、自分の時間はちゃんと進んでいるわけです。それから、時間だけではありません。 高速に見える物体は、進行方向の距離が縮んで見えます。 光速に見えるようになると、物体の進行方向の長さは限りなく0になります。つまり、光速の物体から観たら、周りの景色の進行方向の空間が0になります。どういうことかというと、光速の物体は、景色を見る間もなく、一瞬でこの宇宙のどこにでも行ける(曲がれないだろうけど)となります。 実際に、光速である光を考えてみましょう。1000光年先の星の光は、1000年かかって地球に着いたように見えますね。ですが、光にとっては、一瞬で地球に着いているはずですね。ですから、1000年前の状態から、何の変化もしてないんです。 光にとっては一瞬で地球に着いちゃうもんだから、私たちには1000年前のその場所の姿が、まったく変化せずに見えているのです。〉〈光と同速になってしまうと具体性を欠く(この世のもので無くなる)ので光速になったり光速を超える事はできないとされています。〉(コメント:実際に、質量のある物体は光速にはなれない。)〈宇宙船の速度が光速に近付くに連れて時間の流れが遅くなる…んですが宇宙船に乗っているヒトが遅くなった時間を体感する事はありません。 地球の時と変わらぬ時間経過としか感じられない。 速度による時間経過量の差はあくまで宇宙船に対して動いていない場所、 例えば地球のような場所の時間に変換した場合に出る相対的なものです。 船外に関しての見え方は既答の通り視界に偏りが生じると推定されているが船内に関してはスローに見えたりほとんど止まって見えたりする事は無いワケ。 船速がもし光速に達してしまうと船内の一瞬で無限の未来へ逝ってしまう事になります。 逆に言えば相対速度ゼロ地点の時間で永遠に待ち続けても船内の時間は全く進んで見えない(変換時間量がゼロ)になってしまう。これは物理的に説明不能な状態に付き、 相対論では対象相対速度が光速未満の場合でのみ理論対象としています。〉=(光速と死)~量子はどこにでもいる??=〈光と同速になってしまうと具体性に欠くというか、この世のモノでなくなる。進行方向の長さは0になる。一瞬で(時間=0で)無限の未来に逝ってしまう。光速の物体から観たら、周りの景色の進行方向の空間が0になる。どういうことかというと、光速の物体は、景色を見る間もなく、一瞬でこの宇宙のどこにでも行ける。長さ(厚み)0になるので、前方とか後方とかは全く意味がなくなります。私は自分の考える0秒で、宇宙の端から端まで到達します。0秒で端から端まで動けると言うことは、私には、宇宙の大きさは0になり消滅したと思えます。大きさが無いので、宇宙を観測しようがありません。それどころか、私の時間は止まってしまっているので、何も感じることもすることも出来ません。私は死んだ状態と同じになります。=光速で移動しながら観測すると私は死んでいる。=では、私が光速で移動しながらこの宇宙を観測したら、この宇宙はどの様に見えるでしょうか。光速で移動すると、物質は他の方向へは一切動く事は出来なくなります。他の方向へ動くと、その物質の速度は光速を超えてしまうからです。私の肉体を構成する粒子は、他の方向へは一切動く事は出来なくなります。すると、私の肉体は物質として変化することが出来なくなります。私の動きや思考は止まり、年も取らなくなります。私にとって時間は停止します。(以上、Yahoo!知恵袋などを参照)〉(以上、内容の真偽は問わず、目についたものを並べました。(例えば、最後の文章は、疑問。光は横波なので一定速度を保っています。「地震波には圧力波として縦方向(=進行方向)に揺れる波と横方向に揺れる波とがあります。電磁波の場合には、この圧力波に相当する波の偏りが存在しない。なぜだろう?縦振動は、ある意味、前に進んだり後ろに戻ったりしながら全体として進んでゆく波。ということは、一時的に波は速くなったり遅くなったりする。ところが、電磁波は常に一定速度(=光速)で進む。だから、原理的に縦波はあり得ない。」〈竹内薫『ファインマン物理学を読む電磁気学を中心として』p139なぜ、光は横波か?〉))このように、光は一瞬でどこにでも存在し得るのが特徴です。また、これと関係あるかどうかわかりませんが、量子も空間の様々な場所に同時に存在します。二間瀬敏史著『宇宙の始まりと終わり』を読むと。〈ミクロの世界ではあらゆる量が1つの値に確定せず、揺らいでいる。その居場所さえ1か所に確定できないのである。=我々の知る揺らぎとは異なる「量子揺らぎ」=量子効果の大きな特徴は「量子揺らぎ」である。量子力学によると、ミクロの世界ではあらゆる量が確定した値ではなく、揺らいでいる。しかもその揺らぎは、我々が知っているような揺らぎではない。たとえば水面にたつ波の場合、水面は高くなったり低くなったりしている。これが我々の知っている揺らぎである。ある量、ここでは「水面の高さ」という量が、時間がたつにつれて大きくなったり小さくなったりすることが、揺らいでいるということだ。ところが量子揺らぎの場合は、これとは本質的に違っている。量子揺らぎとは、ある量が「ある値をとった状態」と「別の値をとった状態」、「さらに別の値をとった状態」など様々な状態が、それぞれある確率で混在していて、その確率が揺らいでいる(変化している)ことをいっている。ある量が「別の瞬間」に「別の値」をとるのではなく、「同じ瞬間」に「別々の値」をもった状態が同時並行的に存在するのである。=量子揺らぎの状況を示す波動関数=真空の概念も量子揺らぎによるものである。真空を「何もない空っぽの状態」と考えると、その空間のエネルギー量がゼロとして確定してしまう。だが量子揺らぎのために、それは許されない。真空は「エネルギーの最低状態」として常に揺らいでいて、それが零点振動になるのである。そして量子揺らぎのために、ミクロの物質はある瞬間に「どこか1か所にいる」とはいえなくなる。ある瞬間に、1つの粒子は「A地点にいる状態」と「B地点にいる状態」「C地点にいる状態」など、様々な場所にいる状態が、ある確率で混在している。そうした状況を表すのが波動関数と呼ばれる量である。波動関数が空間全体に広がっていれば、1つの粒子は空間の様々な場所に同時に存在すると考えざるを得ない。「そんな馬鹿な」と思うかもしれないが、それが量子的揺らぎなのである。したがって量子的な存在というものは、複数の状態が同時にある確率で存在するという、我々の想像を絶したものなのだ。〉・・このように“光速の状態”というのは、一見すると“死んだ状態”にも見えますが、しかしこれは、“全知全能の状態”とも言えるのかもしれない?人にはわからない理解が困難な、神の領域の世界なのでしょうか?またこのことと、「量子はどこにでもいる」ことは関連したことなのでしょうか?なお、今回の“光から見た世界はどう見えるか?”は、NEWTON、2016年6月号の「相対論が生んだ現代物理学」の特集を見て思いつきました。ところでそこに、「ジェットとは、ブラックホールの付近から、物質が光速に近い速さで飛び出す現象です。ブラックホール周辺にある強力な磁場などによって加速されていると考えられていますが、加速メカニズムには不明な点が多く、多くの謎が残されています。」と書いてあります。この図には、「ブラックホールにガスをうばわれる恒星」の絵も載ってます。ただ、佐藤文隆著『宇宙のしくみ』には、「ブラックホールの数はずいぶん多いと思います。銀河系の星のうちの100万分の1、つまり10万個くらいですか、そのぐらいは優にあるでしょう。たくさんあるけれども、大部分は、近くのガスをもう吸い込み尽くして何の光も出していないから見えないんですね。」とあり、大部分のブラックホールはジェットを出していない“見えない状態(見えない星)”だそうです。

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